Laura Biagiotti

ラウラビアジョッティについて

ブランドについて

イタリアのファッションブランド。デザイナーは1970年代から活躍している、イタリア・ファッション界の女王「LAULA BIAGIOTTI」。
6つの素晴らしいプレタポルテ・コレクションを繰り広げており、それは考え尽くされたデザインとデザインとの調和であり、素材と個々のアイテムが織り成す美の世界である。多彩なラインの一つ一つにワークマン・シップを感じさせ、特にカシミアを素材としたウェアに定評があり、ニューヨーク・タイムズ紙上で「カシミアの女王」と称された。最初のコレクションの作成を通してこの素材に傾倒し、それは、その後の総ての作品群を貫き続けている。1988年に発表されたフレグランス「ローマ」は、88年代を代表する作品で、古代ローマを想起させる独特の大理石のミニチュア瓶は、世界で最も愛されたBiagiottiの香水として知られている。
1996年には娘のラウィーニア・Biagiotti・シグナが、ジアンニ・シグナ博士の亡き後、母親を支えるために事業に参加。1年後ラウィーニアは、ファースト・レディーであるスーザン・ムバラクの後援のもと、カイロで初の国際的なショーを開いた。2003年から子供服のラインを発表し、妥協など許さずレディスとまったく同じプロセスで作られている。その完成度は、子供服ブランド世界一と言われているイタリアの子供服業界のなかでも飛び抜けて素晴らしい存在と言われている。

ラウラビアジョッティのデザイナーについて

Laura Biagiotti(ラウラ・ビアジョッティ)

1943年にローマの名門一族の血を受けて生まれた。ファッション・スタジオを経営していた母ディーリア・ソルダーニからの影響も受け、60年代からファッションに関わり始める。今日の彼女の呼び名は「イタリア・ファッション界の生ける財宝」で、それは、1972年に発表した初めてのコレクションへの称賛から始まり、彼女の成したすべての研究と文化的な影響、および、作品の数々への評価に至る。ファブリックの直観的な使用、卓越した技量が生み出す女性的で優美なカットは、彼女を国際的に認められた存在へと導いた。
また、イタリア文化の復興に関わったり、数々の賞を受賞しており、ファッションだけに留まらず活動は多岐に渡る。ローマの入り口にあるマルコ・シモーヌという城を住居兼仕事場にしていることでも有名である。夫であるジアンニ・シグナ博士は、ジャコモ・バッラによる未来派の絵画の代表作を収集しており、このコレクションは、「Biagiotti-シグナ財団」主催により、1996年にモスクワのPuskin博物館にて展示された。その後1998年10月から1999年1月まで、ローマの「Chiostro del Bramante」でも披露された。

ラウラビアジョッティのブランドヒストリー

1982年 初めての香水「フィオーリ・ビアンキ」を手がける。続いて1988年に「ローマ」シリーズを発表。
1988年 30人の中国人モデルによって、Biagiottiの経歴の中で最も代表的なコレクションが披露される。125着のドレスにより、幾世紀にも渡って中国から輸入されてきた貴重なカシミアと絹への敬意を形にした。この成功は、当時中国とロシアとの間で結ばれていたような良好な関係を、中国と同グループの間にもたらした。
1991年10月 「マルコシモーン」城を取り囲む150ヘクタールの敷地に、「マルコシモーン・ゴルフクラブ」が完成。その美しい景観と巧みなコース設計は高い評価を受け、1994年5月、同クラブは「イタリア・オープン」開催地に選ばれている。
1992年 香水「ベネチア」を発表。
1992年 ニューヨーク市から「その年、最も顕著な功績を残した女性」として表彰される。
1993年 2度目のファッション・ショーを北京で開催し、またも中国の人から絶賛され、イタリアの産業使節として「マルコ・ポーロ」トロフィーを受賞。
1994年 香水「ローマUomo」、「ローラ」、「ベネチアPastello」シリーズを発表。
1995年 モスクワに進出。キャットウォークをクレムリン劇場に設定し、幅24メートルのステージの上から6000席の観客に向けて、イタリアの文化とファッションが掲げる「東と西との融合」をアピール。
1995年 イタリア共和国のオスカル・ルイジ・スカルファロ大統領から、その卓越した業績に対して、栄誉ある「カヴァリエレ・デル・Lavoro」公共賞を受賞。
1996年 Laura Biagiottiの香水会社が、火災によって損壊したベニスの「La Fenice」劇場の再建に向けて財政的支援を行う。
1998年 ローマの中心にあるミケランジェロ設計の「Scala Cordonata del Campidoglio」を修復。
1999年 ミラノでBiagiottiと娘ラウィーニアは、2つの「若い」香り「Temporeドンナ」と「Tempore uomo」を発表。
同年、ラウィーニアはBiagiottiコレクションの新しい販売経路を開拓。
2000年 ハノーバー万国博覧会において、ドイツの新聞「Blid-Zeitung」後援のチャリティー事業の一環としてファション・ショーを開催。「Millenium Kite Ballet」と表題をつけられた狂想曲をテーマとしたそのショーは、ドイツの首相ゲルハルト・シュレーダーと彼の妻ドリス・シュレーダーの提案によるもの。
2001年 ラウィーニアは若い層に向けた新しいライン「Laura Biagiottiローマ」を発表。古典に現代的な息吹を吹き込んだ。同年、最新のフレグランス 「Laura Biagiotti Emotion」を手がけている。
2002年 laura Biagiottiのファション業界デビュー30周年を迎えると同時に、最初に手がけた香水の20周年を迎える。
2003年 ラウィーニアは女の子のための「Laura Biagiotti ドールズ」コレクションを開始。同年3月には、腕時計の新ラインも発表。

最終更新: 2011.06.29